ハンドボールってコーチも一緒になってのチームスポーツなんよね! 〜思い出編〜

どうも!たかひろです。

 

今日は僕の高校時代について思い出振り返ってみます。

どうぞご覧あれ〜

 

勉強が嫌いだったたかひろ少年。

高校受験(推薦)で進学校を狙ったものの失敗。

私立で勉強漬けはいやや〜ハンドしたい!!と親にせがんで←

地元の公立校に進学しました。

偏差値は40前後だった気がします(笑)

 

何はともあれ、高校でもハンドが出来る幸せを噛み締め

3年間ハンドボールに明け暮れました。

 

高校入学早々、すぐハンドボール部に入部届けを出し

 

初めて行った練習では当時、僕のクラスの副担任であった

O先生が男子顧問をしていました。

O先生は当時28歳(くらいだったはず)。

今の僕と同じくらいだったと思います。

先生の印象は最初っから最後まで

熱血パワフルマン!って感じでした。

優しく褒めてくれる時もあれば、

厳しく叱ってもくれました。

O先生は僕らが入学した年に他校から異動して来て

僕らの代と一緒にW高校のハンドを開始。

弱小校ながら、僕らが2年の時に県大会ベスト8に

のし上がったのも先生のおかげだったことでしょう。

 

僕らの代は弱小校なのに8人と歴代では多かったはず。

高2の時、先輩たちの最後の試合を終えて

これから自分たちのチーム!もっと上を目指すぞ!!

って時に、まさかの先生が、、異動。

 

「えっ?嘘でしょ?このタイミング??どうすんのこれから??」

 

ってな状態で。

正直1ヶ月くらい戸惑い気味だった気がします。

 

これまで2年間、先生と共に毎日走り続けて来ました。

一日仕事で疲れているであろう先生も一緒になって

汗に土に泥にまみれて走り回ってくれてました。

もはや親や友達の誰よりも信頼おける存在でした。

 

そんな先生が僕ら最後の代で離れてしまうなんて、

信じれませんでしたが、、、やるしかない。

やらなければ、勝たなければ、形で見せなきゃ

先生に恩返し出来んやん。と。

ここで折れたら教わって来たことが水の泡。

だからこそしっかり気合入れて練習し続けました。

 

高校最後の試合。先生も観覧席から見てくれていました。

残念ながら…結果は良いものにはなりませんでした。

せっかく先生に教えてもらって来たことが100%出せなかったんです。

 

この時改めて思いました。

 

「やっぱり、ハンドボールに肝心なのはチームプレイ。

 それはコートに立つ7人だけではなく、補欠の選手、

 応援してくれる人たち、さらには指導者(コーチ・先生)もが

 一致団結して戦いに挑むんだ。」

 

先生には申し訳ないことしたなぁ。。

と、今でも後悔が残るばかりです。

 

でも大切なことを学びました。

 

「後悔の辛さ」

 

これをこの時知ったからこそ今がある。

そんな青春時代の悔しい思いを忘れることなく

今では後悔しない選択を出来るよう精一杯生きてます!

だから大好きなハンドをまたやりたいなって思って

諦めずにチーム作ったんだろうなと。

 

先生元気かなぁ。

また高校メンバーで集まれるといいなって思います!!

 

今日はこの辺で。

それではまた^^