11人制から7人制へ、そして競技へと 〜ハンドボール雑学編〜

どうも!たかひろです。

 

ここまでハンドボールの歴史をデンマークとドイツの

視点から見てきました。

今回はその後の発展について書いていきます。

 

 

デンマークとドイツのハンドボール発祥のその後

 

ほぼ同時期に始まったデンマークを起源とする7人制と、

ドイツを起源とする11人制のハンドボールは、互いに影響し合いながら

国際的に広がっていきました。

 

ドイツを起源とする11人制はヨーロッパ諸国に広く受け入れられた為、

国際的な競技団体や競技規則の統一が必要とされました。

これを受けて、1928年に「国際アマチュアハンドボール連盟」が誕生し

1934年には国際競技規則が制定されました。

この11人制の競技規則では、現在のハンドボールと同規格までボールが小さくなり

同じくボールの保持時間も3秒までに制限されました。

 

やっとこさサッカーボールの大きさから手で持てるくらいの

大きさになったってことですね。良かった…!(笑)

 

デンマークを起源とする7人制も11人制と同じく

1934年に国際競技規則を制定しています。

この7人制の競技規則では、競技場の大きさが

縦30m〜50m×横15m〜25m とされた他、

ゴールエリアやフリースローラインなど、

現在のハンドボール用コートの基礎となった

規格も多くありました。

 

そして1936年には、11人制が盛んになっていたドイツで

ベルリンオリンピックが開催され、オリンピック種目に

11人制ハンドボールが採用されました。

 

1938年には国際アマチュアハンドボール連盟により

男子世界選手権が11人制と7人制の2種目で併催されました。

この後、11人制と7人制の並立体制がしばらく続いたそうです。

 

こうして分かるように、1930年代にハンドボール

国際的に大きく飛躍したんですね。

 

今日はこの辺で^^

それではまた。